今昔美肌物語~美白のルーツを探せ!~
1.セレブならば白い肌、美白はステイタス!?
『透明感のある白い肌』、『美白』これは女性の美に対する飽くなき追及が生み出した現代のトレンドでもあります。しかし、『美白』という言葉が広まったのはここ最近のことですが、実は古来より女性は白い肌に対する憧れがあったのです。白粉(おしろい)が日本で使われ始めたのは奈良時代からとも言われています。当時、日本の特権階級の憧れであった中国から渡ってきた白粉(おしろい)は、瞬く間にその男女問わず広まっていきました。その為、その時代の書物に描かれている上流階級の人々は顔が真っ白に塗られています。女性達は腕や手にも白粉を塗り、白さという美しさで競い合いました。
2.庶民だって真似したい!歌舞伎役者の白粉メイク
戦乱の時代を乗り越え、江戸時代に入り、庶民にまでメイクという概念が広まるようになりました。その一番大きな要因は歌舞伎でしょう。白粉メイクを施した歌舞伎役者を目の当たりにして、憧れを抱く者も少なくは無かったはずです。今でいう芸能人やモデルのメイクを真似したくなる感情は昔も同じだったのではないでしょうか。
3.江戸時代の化粧マニュアル本!『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』
江戸時代後期にもなると、一層庶民にメイクが広まります。といっても当時のメイクは白粉を塗りたくるもの。人体に害のある鉛が含まれた白粉は肌なじみが良いとされ、よく利用されていました。毎日のメイクが命取りになるケースもしばしば。そんな時代ですが、なんと化粧マニュアル本『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』が大ベストセラー!今でいう美容パックやその人の顔の形やパーツにあったメイク方法など、全3巻は明治時代まで再版されました。巻頭には、見事にバランスの整った美人というのはそう簡単にいるものではない。何をもって美人とするのか、その第一は色の白さ、と書かれてあります。この頃から美人の基礎は美肌、つまりは美白が大切!とみなされていたようです。ちなみに、この書物の筆者は男性で、どんなに美肌でも顔のバランスが悪かったらどうしようも無いなどとシビアなことも書かれています。今ではあり得ない外見批判が当時らしくて面白いですね。
4.有名人の御用達!?宣伝広告の絶大な効果!
さて、この頃のメイク道具といえば白粉と前述しましたが、その白粉も種類は様々。小間物屋で売られていた白粉には2種類ありました。水銀の含まれる軽粉と鉛が含まれる鉛白です。どちらも有害物質ですが、軽粉はキラキラとラメ効果のある美しさが特徴で、鉛白は伸びがよく、つきやすいのが特長。その中で特に人気のあった白粉は『美艶仙女香(びえんせんじょこう)』というものだったそうです。また、歌舞伎役者の名前がついた白粉なども流通していたとか。しかも、当時の浮世絵にさりげなくその名前を入れるなどの宣伝活動も行われていたそうです。口コミや有名人御用達、ポスターなどの宣伝活動、今と変わらない化粧品業界、ヒットの仕組みですね。
5.肌色の出現!?ファンデーションでカルチャーショック!
メイクと言えば白一色の江戸時代でしたが、明治にもなると欧米から肌色のファンデーションが輸入されるようになりました。全てを包み隠す白粉を塗る行為から自分に合った肌色を塗るという観点でメイクが施されるように。これはまさにカルチャーショック!しかし、日本にも洋装が広まり、次第に欧米文化が取り入れられることで、メイク方法も変化していきました。
6.美白コスメと日焼け防止、美肌で憧れ明治美人!
明治時代の絵には日傘を持った女性が多く描かれています。美肌の大敵は日焼けという考えはこの頃には知れ渡っていました。そして、紫外線防止の研究が進み、日新館薬房が日本最古の美白コスメとも言われる、肉体色白剤を発売しました。また、『西洋束髪秘伝付化粧秘伝』では、海水浴による日焼けの改善法が紹介され、『美顔法』という書物の中では日焼け防止対策やアフターケアまで記述されています。人々の間で徐所に美肌への意識が強まっていきました。
7.やっぱり肌は白く、美しいのが一番!
現代になって、こんがり焼けた小麦色肌、それがエスカレートしたガングロと呼ばれる黒い肌が登場するようになりました。しかし、紫外線が及ぼす人体への悪影響への関心や一時期のブームであったことから、女性の美白に対する意識が強くなっています。日本人に古来より根付いた『美白=美人』という考えが廃れることはないのです。女性が美しく、白く、透明な美肌を求める限り、美白化粧品は開発、改良されていくでしょう。その時代や環境、そして日本人の美しさを追及した商品が出てくることをますます期待します。
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